岡田サッカーの残したもの

 岡田監督と日本代表について様々なことを考えてきた。それは結局、ああした劇的な経過を辿った日本代表について、自分が納得できる物語を再構築しよう、ということだったのかもしれない。
 この私製物語での肝は、代表コンセプトから現実路線への転換がいかに為されたのかという点にある。見ていた私にとってはそれだけ信じがたい転換であり、成功だった。
 それを実際にやっていた中心選手の一人、遠藤に言わせれば、「攻6守4」だったのが「攻4守6」に変わったぐらいで大した差はない、ということだが。いや、そう言う遠藤が韓国戦でミスパスばかりしていたから転換が必要になったんだろうが。
 それはともかく、岡田監督がその転換を決断した心情を理解したかったのである。

 敗戦への恐怖だろうか。
 負けず嫌いという言葉がある。負けることは私だって嫌いだ。いや、私にとっては勝つ快感(リターン)よりも負ける不快感(リスク)のほうがはるかに大きい。あまりに負けるのが嫌いだから、私は勝負事自体を避けるようになってしまった。私がスキー以外のスポーツをしなくなったのは、スキーが勝負をしなくても楽しめるスポーツであることが大きい。
 しかし、サッカーを職業とする者は、勝敗の天秤から逃れることができない。
 恐らく岡田監督は、「負けたくない」という気持ちが大きいのだろう。負けないためには、まず守備を固めるのは当然である。

 岡田監督にも理想のサッカーはあるのだろう。それは恐らくオシム監督の理想とそれほどは違わない。そうでなければ、当初オシムサッカーを継承すると称したり、オシムサッカーと親和性のある大木コーチを招いたり、ということはなかっただろう。
 だが「このままでは負ける」と思った時、彼はそれをかなぐりすててしまえるのだ。

 ひとつ思い出した文章がある。二宮清純氏が1993年の日本シリーズ、ヤクルト―西武戦後に書いたものだ。題は、「「不敗伝説」の終焉 森・西武野球は何を残したか」。

'92、'93年と2年連続で日本シリーズを戦った森祇晶と野村克也。イメージで語れば前者が「勝負の鬼」であるのに対し、後者は「野球の鬼」である。将棋の世界でいえば、大山康晴名人と升田幸三名人の関係に似ている。
「勝負の鬼と将棋の鬼が戦ったら、最終的には勝負の鬼が勝つ」。米長邦雄名人のセリフである。今回、紙一重の差で「野球の鬼」が「勝負の鬼」に勝ったが、2人のイメージが入れかわったとは思わない。
 かりに「野球の鬼」が力及ばず勝負に敗れても野球が残るが、「勝負の鬼」が勝負に敗れてしまっては何も残らない。


 岡田監督も「勝負の鬼」なのだ。「サッカーの鬼」ではなく。

 ならば彼の残した最も大きなものは、2勝1敗1PK負け16強という事実だろう。岡田サッカーそのものではなく。
 ここまでは来れる、という自信と、さらに上へ行きたい、という次の目標を得たこと。
 それが最上のものだ。

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