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zoom RSS 甲府の三浦監督時代について再考

<<   作成日時 : 2015/01/08 18:51   >>

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 三浦俊也監督がベトナム代表監督となって快進撃を為し、かの国で大変な評判になっているという報道があった。
 おそらくはそのニュースをもっとも複雑な思いで聞いたのは、ヴァンフォーレ甲府のサポーターであろう。

 大宮、札幌、神戸などの監督を歴任した三浦監督は、2011年、J1に昇格したばかりの甲府に、というか甲府GMの佐久間氏に招聘された。佐久間GMはJ1で戦うにはそれまでの甲府とは違い、守備力の強化が必要であると強調していた。他の招聘理由として、三浦監督がJ1を知る監督であることがあげられていた。
 三浦監督の甲府での戦いは無残な失敗に終わった。
 それまでの甲府は大木監督以来の伝統で、攻撃的なパスサッカーを指向していた。ディフェンスはフォアチェックからボールホルダーを追い回すことが主体だった。そこに三浦監督は4-4ブロックのゾーンディフェンスを導入した。
 それは見た目は確かにゾーンディフェンスだった。だが、8本の棒杭が突っ立っているような代物で、ブロックの中に入ってきた相手攻撃主をつぶすことが出来なかった。そして点を取られると、ゾーンディフェンスは振り捨てられ、前からボールを追い回す守備に先祖返りした。そしてさらに失点を重ねた。甲府は低迷し、三浦監督は解任され、佐久間GMが監督に就任し、それでもうまくいかず、浦和レッズとの激しい残留争いに敗れて降格した。

 翌年、甲府は城福監督を招聘した。彼のムービングサッカーは攻撃寄りで三浦監督以前のサッカーと親和性があった。山本らが刈り取ったボールを柏や佐々木らが前へ前へと運び、ダヴィが得点を決めた。フェルナンジーニョもいいアクセントになっていた。この2012年、甲府はJ2首位となり、J1昇格を果たした。
 この甲府は城副監督のままでありながら、2013年以降、がらりとスタイルを変えた。5-4-1の守備的なサッカーに移行したのだ。ダヴィは去り、J2時よりも得点力は低下していた。まず守るところから入らないと残留は果たせない、というのが城副監督の判断だった。それは成功し、2年続けて残留を果たすことが出来た。

 ふと今になって思ったのである。三浦監督を再評価してみようと。
 監督が変わった途端に低迷するクラブがある。それはあるスタイルから別のスタイルに脱皮しようとするときに選手たちが即座に対応できないことが要因のひとつにある。三浦監督はそれまでの甲府のスタイルを急変させようとした。それは大宮などで指導した時よりもかなり困難なものだっただろう。
 しかし城福監督が守備的なサッカーを導入したときは様相が異なる。甲府の選手たちの何人か、荻・石原・山本英らがすでに三浦サッカーを経験していた。守備的なゾーンディフェンスの経験があったのだ。三浦監督時とフォーメーションが異なるが、城副監督が守備的なサッカーに取り組んだとき、その移行は三浦監督時よりもスムーズだったに違いない。

 異国で評判になるくらいだ。三浦監督は無能ではない。彼は困難な時に甲府の監督をした。その結果、甲府はJ2に落ちた。
 だが、あの一年は決してまるっきり無駄だったわけではなかったのだ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ベトナムです。
通りすがりの甲府サポ
2015/01/11 01:19
訂正しました。ご指摘に感謝します。
水谷秋夫
2015/01/11 16:49

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