引退した選手にひとこと

石川直樹
 2012年に優勝争いをしていたベガルタ仙台は、最終戦のひとつ前の新潟戦で敗れて優勝の夢が潰えた。その時の仙台-新潟戦で活躍したのが当時新潟にいた石川直で、だから仙台がオファーを出したと聞いた。仙台では2013年から2017年の途中まで在籍した。頼りになるセンターバックだったのだが、サイドバックをこなすことも出来て、重宝する選手だった。
 後ろに石川直がいる、ということがどれだけ味方には心強く、敵には鬱陶しかったことか。誠実な人柄でサポーターにも人気があった。お疲れさまでした。


早坂良太
 鳥栖のサイドハーフの印象が強い。当時の鳥栖の中にあって、よく走る選手だった。そうか、やめるのか、もう走る早坂は見られないのか。


曽ケ端準
 1999年のナイジェリアで行われたワールドユースの時、宿舎の彼の部屋の天井が落ちて来た、という話がなかっただろうか。
 言わずと知れた鹿島のレジェンド。500試合以上も出場していて、曽ヶ端がゴールを守って鹿島が勝つのを当たり前のように何度も見ていた。日本代表での出場は4試合。曽ヶ端ほどの選手でも代表レギュラーではないんだという思いがあった。

増嶋竜也
 2017年にベガルタ仙台に移籍してきた時、増嶋について書いた。2007年に甲府にいたので、その時の印象を中心に書いたものだ。
 その後、地元の千葉に移籍して活躍した。F東京、甲府、京都、柏、仙台、千葉、それぞれで足跡を残した。フル代表には縁がなかったが、幸せな選手生活だったのではないか。恐らく、幸せな家庭生活でもあったのだろう。


佐藤寿人
 寿人は仙台が育てた。異論は認めない。
 もちろん広島のレジェンドで、Jリーグ屈指の、というか、Jリーグ最高のフォワードの一人だ。得点に至るまでの引き出しの広さが魅力だった。え? こんな風にして点を取るんだ、みたいな。素晴らしすぎて、かえって何を書いてよいのかよくわからない。


近藤直也
 ある時期の柏レイソルを支えたディフェンダー。2010年のJ1昇格や2011年のJ1優勝などに貢献した。あの頃の柏は堅かった。忘れがたい選手の一人。


レアンドロ
 山形での40試合23得点はすごい(2006年)。その後、神戸、G大阪、柏で点を取りまくった。最後に在籍したのは東京V。
 彼がフィールドにいると、いつか点を取るものという、恐れを抱かせたものだ。日本で引退したのも何かの縁だろう。


李漢宰
 この名前は絶対に忘れられない。安英学とともに2005年アジア最終予選、北朝鮮代表のJリーガー(当時はサンフレッチェ広島在籍)だったからだ。当時の大騒ぎを喧騒とともに思い出す。
 広島を離れた後は岐阜や町田にいた。ウォッチはしていなかったからその頃のことはよく知らない。ともあれ、お疲れさまでした。


中村憲剛
 もちろん、日本サッカー界を代表するレジェンドなのですけどね。川崎F-仙台戦を何度か現地観戦して仙台側から見ていた者としては、彼ほど、越えられない壁みたいなものを感じた選手はいなくて、憲剛のせいで仙台が負けた、ってそんな試合たくさんあったから。もういちいち書かないけど。
 憲剛がいなくなったらその壁も低くなるのかな、どうだろう?


橋爪勇樹
 甲府とともに8シーズン。右サイドバックで活躍。甲府にいるのが当たり前みたいな認識でいた。
 30歳か。まだやれるような気もするのだが、甲府契約満了とともに去るか。お疲れ様。


前田遼一
 磐田-仙台戦を初めて見に行った時、ゴール前の前田遼一を見て、「諦めない選手だな」と思った。ディフェンダーがボールを持っていると、突っかけたり体を入れようとしたり、必死にボールを奪おうとしていた。その当時、日本を代表するフォワードだったのだが、華麗さよりも泥臭さを感じたものだ。フィールドを離れると、朴訥な好青年だった。
 その前田がなぜか、デスゴールだの大食漢だのと全国規模でいじられていたのはどういうことだったのか、といまだに不思議に思う。
 ちなみに二度目に行った磐田-仙台戦は鹿児島デーで、前田はゴールし、しっかり牛肉をゲットしていた。


 ところで、以前「木綿のハンカチーフ」の替え歌を作ったことがある。筒美京平が亡くなって感慨に耽っていたら、替え歌に出した寿人と前田が引退してしまった。時は流れる。季節は流れる。俊輔はいつまで現役かな。


石櫃洋祐
 まず神戸の左サイドバックとして頭角を現し、日本代表の合宿にも呼ばれた。その合宿が結婚式とかち合っていたとかで話題になった。名古屋、京都でも活躍。
 櫃という漢字が難しいので、石ナントカさん、などと呼ばれて親しまれていた。

フェルナンジーニョ
 本名はエルディス・フェルナンド・ダマショ。これは覚えられない自信がある。身長が161cmで、ちっさん、と呼ばれて親しまれた。
 まずガンバ大阪で活躍し初優勝に貢献。その後、清水・京都・大分でプレー。2010年には仙台。変幻自在のドリブルでディフェンダーを翻弄した。2012年には甲府に在籍。ダヴィとのコンビは絶妙で、この年にダヴィが得点を量産し甲府がJ1に昇格したのは、フェルナンジーニョの働きもあった。
 最後は鳥取に在籍。鳥取でのプレーは見ていないが、きっとサポーターに愛されたことだろう。

岩下敬輔
 清水で活躍した後、G大阪に移籍。2014年12月の天皇杯決勝ではセンターバックのコンビを丹羽と組んでいた。長谷川健太率いる、守りの堅いガンバを体現していた。
 少々やんちゃなところがあって時々話題になっていたのも、今となっては懐かしい。


徳永悠平
 長く右サイドバックとしてF東京を側面から支え、最後の3年間は故郷の長崎でプレーした。アテネオリンピック代表でもあったが、なぜか駆り出されたロンドンオリンピックでの活躍も懐かしい。
 F東京のサイドバックだった時期が十年以上にも及ぶので、それが当たり前と思っていて、そんな時代がもう帰らないのだ、ということが、3年間の長崎時代を経た現在ですら、なかなか信じがたい。
 ローソンの服が似合っていた。


青山直晃
 世間では清水の選手という印象が強いだろうか。2013年から2014年まで甲府にいて、とても頼りになるディフェンダーだった。その後、タイに4年間いた。
 北京オリンピックに出るだろうと思っていたら出られなくて、日本代表にも縁がありそうでなかった。甲府での盤石さを見ていたから、何かが少し違っていたら、と思うことがある。


山岸智
 最後の3年間は関東リーグ1部のV市原にいた。最後にJリーグ以外の所でプレーした選手は引退報道を見逃しやすいのだが、さすがに山岸くらいだとニュースになる。
 オシムチルドレンの一人。その後、川崎F、広島、大分で活躍した。といっても最も印象に残っているのは、日本代表で、クロスなどに伸びきった体で飛び込み、惜しくもゴールにならなかった場面だったりする。
 長躯して大外を回って長い距離を走ってからゴール前に来るものだから、ゴール前では体を伸ばすのが精一杯でボールコントロールが出来なくなっていた。惜しかったな、何点か取れていたら代表に定着していたのかな、などと思い出したりする。

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