木曜映画サイト 伊豆の踊子(1974) どこがフィクションか

 今年実家に行った時、何か本を持って帰ろう、と思ってたまたま持って帰ったのが川端康成だった。それで、読んだのが、「山の音」「ある人の生のなかに」「千羽鶴」「雪国」「伊豆の踊子」。

 川端康成は簡潔でわかりやすい文体でありながら情景描写、人物描写が巧みで繊細だ。そしてその物語には共通の特徴があった。

・女が不幸になる
・語り手の男はそれを助けることが出来ない

 そうした中で、「伊豆の踊子」だけが異質だった。川端自身はこの小説は事実そのままだという。これは少年のうちに次々と身内を亡くし、孤児根性に苛まれていた川端が、踊子に「いい人ね」と言われて嬉しくなり救われた気持ちになる話だ。創作された物語というよりも脚色した実話であるらしい(Wikipedia)。

 映画はほとんど小説の通りに進む。ただ、映画には原作にはないフィクションがある。この「伊豆の踊子」を恋愛物語にしてしまったことだ。
 風呂に入っていた「私」に裸で無邪気に手を振る「踊子」の姿を見て、「私」は「踊子」を「子供なんだ」と評する。原作では、相手が子供なのだから、恋愛小説にはならない。
 しかし映画は幼い踊子の初恋物語にしてしまった。そこがフィクションである。

 これは当時のアイドル歌手、山口百恵の主演映画だった。

 あなたが望むなら私何をされてもいいわ(青い果実、千家和也(作詞)都倉俊一(作曲))
 あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ(ひと夏の経験、同じく千家和也(作詞)都倉俊一(作曲))

などという曲を歌っていたアイドル歌手を主演に据えた以上、「子供なんだ」で終わらせるわけにはいかなかったのだろう。

「私」が船で東京へ去り、少女の初恋は破れ、踊子が酔客に絡まれる姿で映画は終わる。
 川端作品の中では特異な存在である「伊豆の踊子」は、なぜか川端作品に特徴的な、

・女が不幸になる
・語り手の男はそれを助けることが出来ない

そんな形で終わるのだった。

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