引退する選手に一言

河合 竜二(札幌)
 私には横浜M時代が最も印象に残っている。中澤・松田らと組んだディフェンスは強力だった。その後札幌に8年いた。それなら札幌のレジェンドと言ったほうが良いのかもしれない。今後は札幌のフロントスタッフになるとのこと。すっかり札幌の人間になってしまったようだ。

菅井 直樹(仙台)
 仙台の右サイドバックなのだが、ずっとMF登録だった。本当はボランチあたりをやりたかったのか? サイドバックであるにも関わらず、好機となるといつの間にかゴール前にいた。「なぜかそこにいる菅井」がお馴染みだった。一方寡黙な男で、インタビュー記事を読んだ記憶がほとんどなかった。ちゃんとした引退コメントを読むことが出来てほっとしていたりする。

小笠原 満男(鹿島)
 大船渡高校出身。仙台から大船渡まで車で行ったことがあり時間が結構かかったので、そんな所に小笠原に会いに行った鹿島のスカウトはなんと優秀なのかと思ってしまう。小笠原は鹿島の一時代を築いた選手であり、私にとって鹿島とは小笠原だった。だが彼ほどの才能と勝負強さがありながら日本代表のレギュラーにはならなかった。当時の日本代表はそれだけ才能のある司令塔が溢れていたのだ。当時を思うと司令塔が死語になった今が不思議に思える。

平川 忠亮(浦和)
 守備も攻撃も献身的に走り続ける選手で、左サイドから浦和を支えていた。決して目立つ選手ではなかったが、浦和の左側に平川がいるのは当たり前だった。浦和でコーチに就任するとのこと。今後は指導者として浦和を支えることになる。

栗澤 僚一(柏)
 え? もう辞めるの? まだ若いんじゃないの、と思ったら36歳だった。ネルシーニョが監督で、柏が最も強かった頃が彼の全盛期だった。

中澤 佑二(横浜M)
 練習生から東京Vに入り、横浜Mに移籍して日本一のディフェンダーに成長した出世物語。人に強く高さに強くキャプテンシーもあった。一方で足が決して速くはなく、彼がいる最終ラインは低くなりがちでもあった。その中澤のヘディングの強さは敵ゴール前でも発揮された。2004年アジア杯バーレーン戦、起死回生の同点ゴールは忘れられない。

川口 能活(相模原)
 マイアミの奇跡。2004年アジア杯ヨルダン戦のPKストップ。磐田-仙台入れ替え戦のセーブ。川口には思い出が多すぎる。そういえばこんなものを書いたことがある。この落語のオチは川口以外にありえなかった。

梶山 陽平(新潟)
 北京オリンピックで10番を背負った。相手ディフェンダーに囲まれている時、意表を突く浮き球パスをゴール前に送ってそこに味方が走り込んで、というプレーを得意にした。それは変態パスと呼ばれた。パナシナイコスに行ったり大分に行ったり最後は新潟だったが、FC東京のレジェンドである。一方、話すのはあまり得意ではなく、インタビューでテレビに出てくると妙な緊張感が走ったのも良い思い出である。

兵働 昭弘(清水)
 世間的には清水の選手というイメージが一番強いだろう。彼は2017年に甲府にいた。4月のC大阪戦で、兵働の蹴ったフリーキックに畑尾が合わせて同点、引き分けに持ち込んだことがあった。当時、選手としては晩年だったが、甲府には貴重な戦力だった。

楢崎 正剛(名古屋)
 川口が反応に優れたゴールキーパーなのに対して、楢崎の特徴はその安定感だった。川口と楢崎の比較はここで書いた
 このブログを始めたのは2004年のアジアカップがきっかけで、自分が真剣にサッカーを見始めたのもその頃だ。当時の日本代表選手たちが引退していくのは、何かしらの感慨に浸らざるを得ない。

難波 宏明(岐阜)
 横浜Cにいた頃の印象が強い。そんなに点を取るフォワードではなかったが、妙な存在感があった。敵としてみれば嫌な選手だなと思っていた。記録を見ると岐阜にいた5年間で37点も取っている。岐阜では頼りになるベテランだったのだろう。お疲れ様でした。

森崎 和幸(広島)
 ご存知広島のレジェンド。最後まで自分にはコージとカズの区別がつかなかった、のは内緒話。

山岸 範宏(北九州)
 元々浦和で都築と正GKを争っていた優れた選手だった。それが山形にいったらあのヘディングのゴールでJリーグ史に残る名ゴールキーパーになった。彼の名が忘れられることはあるまい。

巻 誠一郎(熊本)
 千葉でオシムの薫陶を受けて日本代表になってワールドカップにも行った。その頃の印象が強いのだが、熊本に加入してから5年経っている。地震の時は獅子奮迅だったし、熊本のレジェンドと言うべきだろう。とは言うものの、巻と聞いて真っ先に思い出したのは、バーレーン戦の「ボールに触らない踊り」(いわゆるエアヘッド)だったりする。現地で、あんなものが点になるのかと驚いたのを覚えている。

松下 年宏(鹿児島)
 ベガルタ仙台にいたのは2011~2013年の3年間。誰かが怪我をしているときにスタメンで出てくることが多かった。主としてボランチだが、攻撃力もあって点も時々取っていた。いないと台所が困る人材だった。決して目立ちはしなかったが、今思い返すと、彼がいた頃のベガルタが一番強かったのである。

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