イチローという価値観

 イチローの日米安打合算記録がピート・ローズの米安打記録を抜いたと話題になっている。
 日米合算というところにどれだけ意味があるのかは議論があるところだ。ただ私は、これを機会にピートローズが残した4256安打という記録について議論する機会を得たこと自体が有意義だと考えている。なにしろピート・ローズは私が十代後半頃のヒーローだった。だから結構感慨深いのだ。
 というわけで様々な人が様々な意見を言った。ピート・ローズ自身の意見も読んだし、野球界ではないうえに野球人でもない、俊輔とか中澤とか遠藤とか、の意見も興味深く読んだ。

 素人の人も様々なことを言った。ただ、「イチローは王貞治を越えた」という意味の文を書いた人がいて、それだけは違うのではないか、と思った。
 恐らくその人は王の現役時代を知らないのだろう。私は子供の頃、アンチ巨人だった。巨人以外のチームが1点勝っていて、巨人が攻撃していて塁上に何人かランナーがいて、そして打席に王がいる。あの時の絶望感を知らないのか、と。ホームランを打たれれば逆転してしまう。そこで王は当たり前のようにホームランを打ってきたのだ。
 だが、王を見ていない人に、王とイチローは違うんだ、とどう説得すればいいのだろう。

 価値観が違うのだ。
 野球のバッターには、強打者という概念が昔からあった。ヒットを打つ、長打を打つ、ホームランを打つ。そしてランナーが帰ってくる。塁上のランナーが一掃される。点が入る。そのバッターが打ったために沢山の点が入る。
 記録上、日本でその強打者、という分野で君臨するのが王貞治だ。王の本塁打数は868、打点は2170、日本一だ。
 王を越えるというなら、日米合算でもいいから、この記録を越えなければならない。清原も松井もこの記録を越えられなかった。だから王は日本一の強打者として今も君臨している。

 イチローは、違う分野で、もう言ってしまおう、世界一になったのだ。
 強肩の外野手で盗塁も多い。しかし、彼はさらに違う意味で投手に絶望感を抱かせる。どんなボールを投げてもどのコースに投げても、ヒットを打たれて塁に出られてしまうのではないかと。
 内野に飛んだボテボテのゴロもヒットにしてしまう。あれは当たり損ねではないのかという意見に対して、わざと内野安打にしているという。そして、内野安打にこそセクシーさがある、とまで言ってのける。
 そしてそれが、なるほどと受け止められる。これはイチロー以前にはなかったことだ。

 つまり、イチローは野球界に、イチローという価値観を初めて作ったのだ。それこそが、イチローの功績だ。
 それはまるでベーブ・ルースが、ホームランバッターという価値観を初めてメジャーリーグにもたらしたような。それに比肩する功績だ。

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