本田と俊輔を見る人の世代視点

 このところサッカー界はどちらを向いても本田本田だ。中にはひどい記事もあった。本田帰国後のスポニチ

前日の帰国会見で本田は「守備をするために試合に出ているのではなく、自分の特長は攻撃にあることは自覚している。できれば守備はしたくない」と発言。チームへの“反旗”ともとられかねない発言について、報道陣から問われた岡田監督は「あっ、そう。冗談交じりでしょ。全然、心配していない。(ディフェンスを)やりますよ、あいつは」と全幅の信頼を口にした。

 これがなぜ、「岡ちゃん 本田に“白旗”守備拒否発言容認」という見出しになるのか、本文を読んでも全くわからない。スポニチには何か、本田関連の刺激的な見出しをつけて煽らなければならない、という強迫観念でもあるのだろうか。


 さて、本田との対比として引き合いに出されるのは俊輔だ。ここには世代対立の視点がある。ただ、この視点は当人同士よりも、むしろそれを見るサッカーファンの問題ではないか、と私には思われる。
 一般論として若者は年長者に頭を押さえつけられているのを鬱陶しいと思うものであるし、年長者は若者の増長を苦々しく思うものだ。そうした視点はわかりやすい。わかりやすいから、本田と俊輔の間に世代間対立があるかのように煽ると食い付きがいい。そういうことではないかと思う。

 本田はこのところ伸び盛りの若者で海外で活躍している。上昇志向が強くて強気の発言が多い。ファッションも独特だ。注目を浴びるのも当然だろう。
 もう一方が俊輔。海外のチームと代表で長く活躍してきた。ポジションも本田と被ると言われている(私は被らないと思っているが、それはおいておこう)。対立項としてもわかりやすい。
 もっとも私には現実以上に煽られているような気がしてならない。

 ここで私が感慨深いのは俊輔のほうだ。まるで、守旧派の代表みたいな扱いである。現実の俊輔がそうだと言っているのではない。俊輔を見る人間が俊輔に年長者の権威を見ている。
 かつての俊輔はそうではなかった。
 ジーコが黄金の四人を標榜した時、主役は俊輔だった。なぜなら彼だけがトルシエに選ばれなかったからだ。俊輔は、変な性格の外人監督に外された可哀想な人、だった。だからサッカーファンの同情を集めていた。むしろ権威の被害者扱いだったのだ。

 それが今はまるで旧秩序の権威。俊輔も偉くなったものだなと。
 人は変わるものだが、他者が見る人のイメージも変わるものだ。時には正反対に。そこが感慨深いのである。

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