今頃になって、「狂気の左サイドバック」読了

 初版は1994年9月。ドーハの悲劇の一年後だ。
 あの当時評判になった本だが、すぐ手に取る気持ちにはなれなかった。ドーハの悲劇は生放送で見ていなかった自分にとっても辛い記憶で、追体験をする気にはなれなかったからである。

 読んでみようかと思ったのは、この本で書かれていた人物、都並敏史が引退し、ベガルタ仙台の監督になった時だ。就任会見が2004年12月。十年経っている。残念ながらこの頃には単行本も文庫本も絶版になっていた。

 古本屋でようやく手に入れたのは昨年。都並はすでに、4年続けて違うチームを指導し、全て1年以下で解任されるという不名誉な記録ウィキペディア)を作ってしまっていた。
 ちなみに古本屋で買ったのは単行本。値段は105円である。

 これが書かれた時代性、というのにまず目が行った。1994年に書かれたということは、ジョホールバルの歓喜はまだ起きていない。当時の日本代表はまだW杯に一度も出場していなかった。ドーハの悲劇は当時の日本が最もW杯に近づいた瞬間だった。
 つまり、あんなチャンスは二度とないかもしれない、という思いで書かれている。

 もうひとつ思ったのは自分がドーハの悲劇の裏にあったことを、あまり知らないでいたということだ。
 現在ならインターネットがあるから、例えばサッカー選手の誰がどんな怪我をしているということはリアルタイムですぐに知ることが出来る。
 インターネットが爆発的に普及したのは1995年ごろ。それ以後の情報は様々な人がネット上にリアルタイムで記している。しかし、ドーハの悲劇はリアルタイムで書いた人がほとんどいない。ネット上の情報が少ないのだ。
 都並とドーハの悲劇については、ある程度の知識を持っていたつもりでいた。しかし私の持っていた情報はたいしたものではなかった。この本を読んで初めて知ったことがいくつもあった。

 その中でも特に印象的だったのは、都並がカタールで最終予選に出るべく練習を続けていた、ということだ。
「記者には何も言うな、お前は普通の状態だ」(138p)
 カタールに行く直前、オフトが都並に語った言葉である。これは私も知っていた。しかし、私はこの言葉しか知らなかった。
 私はずっと、都並が起用できない状態だとオフトが知っていた、それでも連れて行ったのは、都並というカードがオフトの手にあると思わせるために、つまり最終予選に出場する他の国を欺くためだ、と思っていた。
 だから都並はカタールには行ったものの、無為に過ごしていたのだろう、ベッドの上で唸ってでもいたのだろう、と誤解していた。
 とんでもなかった。

 オフトは都並を戦力になるかもしれない、と考えて連れて行ったのだし、都並はずっと最終予選に出るために準備していた。麻酔を打って練習し、練習が終わって麻酔が切れると痛みに七転八倒する。やがてX線ですっすらと見えてきた骨折線がはっきりと拡がっていく。
 読んでいる途中で何度も「やめろ」と言いたくなった。
「走るな、蹴るな。都並は出られないんだ」
 それでも都並は出るための準備を続ける。足はどんどん痛くなっていく。
 結局、都並は試合に出ることはなく、イラク戦、都並の守る筈の左サイドから放り込まれたボールはゴールネットを揺らした。それがドーハの悲劇だった。

 一志治夫氏はそんな都並を「狂気」と称した。
 狂気というよりも、馬鹿だと思った。限度を超えたサッカー馬鹿だ。
 こんな馬鹿がいてはいけない。こんな馬鹿をしてはいけない。だが、心を打つ馬鹿だ。


 書かれて約16年も経っているが、読んでよかったと思う。ずっと誤解したままでいるよりは。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック