ファルカン監督を思い出す(1)

 最近、ファルカン監督時代の日本代表を思い出そうとしている。褒めたいからでも貶したいからでもない。本当に忘れてしまったからである。
 ファルカンが監督に就任したのは1994年2月、アジア大会で韓国に敗れ解任されたのが同年10月。ドーハの悲劇で日本が出場できなかったアメリカワールドカップを挟んだ時期だ。W杯に出られず気合いが抜けて、この間、サッカー日本代表は私の記憶からすこんと抜けてしまったようである。
 さて現在、ワールドカップ二次予選まで、まだ間がある。日本代表が一休みとなったこの時期、忘却のかなたにある古きものを温ねるのも、何か益があると思うのだ。
 え? シンガポール戦? 消化試合のエキシビジョンマッチなどに興味はない。

 ファルカン監督初戦はキリンカップオーストラリア戦。1994年5月22日。メンバーは次の通り。

   三浦知良 佐藤慶明
         (小倉隆史)
  沢登正朗   前園真聖
          (長谷川健太)
   浅野哲也 柱谷哲二
   (森保一)
岩本輝雄       今藤幸治

   井原正己 名塚善寛

       前川和也
(カッコ内は交替メンバー)

 いかん、本当に知らないメンバーがいる(苦笑)。誰を知らないのかは内緒だ。
 結果は1対1の引き分け。浅野の直接FK、ミドルシュートで先取点を取った後、オーストラリアの怒濤の反撃を受けたらしい。

 小倉と前園がいる。小倉というと大怪我、悲運のイメージがつきまとう。カズの次のエースかと思っていたのに。怪我から復帰して最初のゴールはテレビで見た。我がことのように嬉しかったのを覚えている。あれは98年か。当時は名古屋グランパスエイト。現在はヴァンフォーレ甲府に所属。甲府はJ1昇格なるか、厳しいところだな。
 前園はKリーグで活躍中。うん、活躍中に違いない。便りがないのは元気な証拠だ。きっと。

 岩本は1994年当時はベルマーレ平塚所属。あちらこちら渡り歩いたが昨年度まではベガルタ仙台にいた。2003年10月18日、ホームのジェフ市原戦でセンターサークル付近から豪快なフリーキックを決め、市原のオシム監督に 「それにしても岩本のシュートはすごかった。あんなゴールは見たことがないよ」と言わしめた。ビデオがあったら見たいプレーのNo.1だ。
 現在は名古屋グランパスエイト所属。足首の手術をしてリハビリ中。

 ファルカン時代を思い出そうとして、雑感に終始してしまった。そのうちに続きを書きます。

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この記事へのコメント

ドーハ
2004年10月24日 04:26
ファルカンの解任騒動。よく覚えてますね。「ドーハの悲劇」に端を発した、日本サッカー協会挙げての、代表強化策の目玉。それが、ジーコにも匹敵するブラジルの雄(黄金のカルテットの一人)、ファルカンの代表監督就任だった訳だが、結局、その年のアジア大会で韓国に敗れ、決勝トーナメントへの進出を果たせずに、彼は解任されたしまった。叉、この大会では、様々な遺恨をも残した。つまり、ファルカンは勿論。選手と協会の間に軋轢を生んだ大会とも成ってしまったのだ。韓国戦での、レフェリーのジャッジをめぐって、カズを筆頭に沢登らが、協会批判を行った。特にカズは、ホーム開催の大会なのに、韓国寄りの笛を吹くような審判(中東人?)をマッチングしたのは、明らかに協会の怠慢。無策だ!と批判したと記憶している。沢登は、別の事案に関しても協会を批判し、その為、長年に渡り、代表に召集される事は無かったのだ。
水谷秋夫
2004年10月24日 18:04
>ドーハ様
 詳しいコメントをありがとうございます。なにぶん覚えていないことを書こうという無茶なことをしているので、とても助かります。
 なるほど、沢登があれから代表に選ばれなかったのはそんな事情があったのですか。ポストラモスの最右翼だったんですが。結局、中田(英)が現れるまで代表は司令塔の人材に苦労していましたね。
ドーハ (神城久之)
2004年10月25日 01:24
管理人。水谷様。レスを有難う御座いました。昨夜の記事で、誤ったデーターを記載してしまったので、訂正させて頂きます。アジア大会では、ベスト・8には残ってました。そこで韓国に負けたようです。でも、協会としては、優勝が理想だったようだし、少なくも韓国を破ってのベスト・4以上は譲れずに、解任と成ったようです。ただ、契約条項にも、大会前にも、そんなノルマが、ファルカン自身には告知されてはおらず、更迭の際、モメたらしいんですネ。
カズらは、ファルカンの味方をしたんでしょう。その後、後任の加茂監督にも1998年・W杯予選の前、やはり解任問題が浮上して、ネルシーニョ監督が候補に挙がり、結局ポシャリました。この時彼は、協会を「腐った蜜柑」に例えて批判しました。ファルカン解任の遺恨だと解釈しています。
水谷秋夫
2004年10月25日 19:46
ドーハ様、フォロー感謝です。
DARUMA
2004年10月26日 22:23
覚えている解任の理由は、「外国人だとコミュニケーションが取りにくいから」。そこで、当時会長だった長沼氏が加茂氏を選んだと雑誌で読んだ記憶があります。理由は日本人&天皇杯優勝している&後輩だから。ただ、外国人以上にコミュニケーションを取るのが下手だったらしく、さらに不運も重なり・・・。
長沼会長曰く、「加茂でW杯行けれなかったら、会長辞めます」といったそうですが、そんな問題じゃないんですけど、誰も反論できない協会事情があったようです。あ、あまりファルカンと関係ない話でしたね。私としては、もっとファルカンを見たかったです。ファルカンの思い出は別の時にでも。
DARUMA
2004年10月26日 22:32
ついでですが、アジア大会の韓国戦ですが、韓国よりの判定な感じでした。
韓国選手の真空飛び膝蹴りが炸裂しても、ファウルは取られず、
終了間際に、日本側PA内でヘディングの競り合いをして、
もつれて倒れたのを日本のファウルとみなされPKとされたり。
当時あまり、ホーム&アウェイって感覚なかったような気がします。
あの時、井原が超ロングシュートを決めたのがとても印象に残ってます。
ドーハ(神城)
2004年10月27日 16:30
↑DARUMA 様。コメントに、ぶら下がって申し訳ありません。いや、ファルカン解任の理由や、アジア大会の韓国戦のこと、よく覚えてらっしゃるものですから。そうでしたよねぇ?私も、テレビ(TBS)で観たので、記憶が蘇りました。井原の、弾道の低い超ロングシュート。確か、後半も残り少ない時間帯での、同点ゴール(2対2)だったと思いますが?しかし、その直後に、例のPA内での不可解なジャッジが有って、PKと成ってしまった。どうって事の無い、普通の競り合い。現在なら、逆に韓国選手の方にシュミレーションが宣告されていても不思議の無いプレー。とにかく、韓国選手のラフプレーに対して、殆どファウルを取らないもんだから、実況の松下アナウンサーも、かなり興奮していて『なんなんだぁ!この審判は~!ファウルじゃないかぁ!』と怒鳴っていたのを、想い出しましたよ。(笑)

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