折り返して逆サイド

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zoom RSS ハーフナーマイクがベガルタ仙台へ

<<   作成日時 : 2018/07/14 13:48   >>

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 ハーフナーマイクを初めて見たのはいつだったろうか。
 彼はU-20の代表だった。彼のいたU-20W杯は2007年。このブログで初めて彼の名を記したのはその少し前、2006年10月。AFCユースの北朝鮮戦だ。私はマイクのでかさに驚いているが、そのプレーについては何も記していない。
 そのAFCユースで二位になった日本は、U-20W杯の出場権を得た。U-20W杯ではベスト16でチェコにPK戦で敗れている。当時のU-20にはマイクの他に林彰、内田、安田、槙野、森重、梅崎、亜土夢、河原、柏木、森島康、太田、香川などが出場している。多士済々のいわゆる調子乗り世代である。マイクは河原と森島康の控えだった。プレーを覚えていないのは出場時間が少なかったからだろう。
 当時マイクはマリノスユースから横浜Mトップチームに昇格していた。2006-07の2年間でリーグ戦は24試合出場得点0、ナビスコ杯10試合出場で得点1。チャンスは与えられたが結果を残したとは言えない。当時の横浜Mサポーターが、デクノボー、と記していたのを覚えている。

 2008年福岡にレンタル移籍。当時の監督は「監督さえしなければ良い人」リトバルスキー。26試合出場7得点と数字上は活躍しているが、サイドハーフなどもやらされて苦労したらしい。福岡のサポーターが「あの頃はすまんことをした」と書いていた。
 2009年はいったん横浜Mに帰るが鳥栖にレンタル移籍。その鳥栖で33試合出場15得点とブレイクする。

 そして2010年、甲府に完全移籍。私がハーフナーマイクのプレーを生で見たのはこの時期。当時の甲府はJ2。内田監督はポゼッションから、攻撃的なパスサッカーをしていた。中盤には藤田健がいた。
 甲府の伝統として、カタカナの選手が点を取らないと勝てない、ということがある。ハーフナーマイクは日本人だが、点を取るフォワードとして最前線で機能した。この年マイクは31試合20得点でJ2得点王。甲府のJ1昇格に貢献した。
 J1に上がって翌2011年、甲府の佐久間GMは守備的サッカーへと舵を切り、藤田健らが退団。三浦俊也監督を招聘する。

 その頃のハーフナーマイク。
・ヘディングが得意。甲府は彼の頭にボールを蹴って押し上げるスタイル。
・ヘディングシュートが得意。特に片桐のクロスからのシュートが印象的。
・実は足で蹴るシュートも得意。
・最前線でお前あっち行けお前こっち行けと指示も飛ばす。
・ポストプレーは苦手。トラップしてもボールを足で止められない。

 マイクはこの年32試合17得点と日本人得点王。ベストイレブンにもなり広く名を知られることとなった。日本代表にも選ばれてタジキスタン戦で初ゴール。なお、日本代表はザッケローニ監督のもと、背の高い奴の頭に合わせるサッカー、をしてはくれなかった。駒野しかクロスを上げてくれない、などとも言われた。
 なお、この年の甲府は守備的に舵を切った筈だが守備が崩壊した。三浦監督は途中退任。佐久間GMが自ら指揮を取るがJ2に降格した。マイクがあれだけ点を取ったのになんで降格したの、という質問に、甲府サポーターが、
「三浦監督という人がいてだな」
と答えていた頃である。

 J2に降格した甲府にマイクが残るはずもない。彼は海外へと旅立った。フィテッセ、コルドバ、HJK、ADO。記録を見る限りでは、オランダ・エールディヴィジのフィテッセ、ADOで活躍していたようである。
 その間、日本代表にも選ばれていたが、定着しなかった。

 そして2017年途中から神戸に移籍した。この年それほど出場機会には恵まれず9試合4得点。このうち2得点が甲府戦である。
 10月29日の中銀スタジアム。私はテレビで見ていた。ポドルスキが出場停止でマイクが先発していた。彼の得点はいずれもクロスにヘディングの得意な形。甲府はわかっていてもしてやられた。
 その試合の中で、マイクがマーカーを背負いながらボールを足元に置き、味方の上りを待っていた場面があった。あんなことが出来るようになったのだ。海外でプレーしていた期間は無駄ではなかった。

 人とは変わるものである。デクノボーの長身選手だった男は、移籍を繰り返しながら成長した。
 そして人とは変わらないものでもある。彼は神戸の求めるフォワード像に合わせることが出来ず、出場機会をあまり得られなかった。

 そして彼は期限付き移籍でベガルタ仙台にやってきた。
 仙台には仙台の伝統的なプレースタイルがある。サイドアタックから体の強いフォワードの頭に合わせるというのがその一つだ。マルコス以来のスタイルで、ウイルソン・赤嶺のいた頃、それはもっともよく機能していた。昨年、平山が来たのもその流れにあるだろう。
 そこにハーフナーマイクがやってきた。

 成功するかどうかは知らない。未来は誰にもわからない。
 もちろん私は成功を望んでいる。

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