折り返して逆サイド

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zoom RSS 1970イタリア4−3西ドイツ、1974西ドイツ2−1オランダ、1978アルゼンチン3−1オランダ

<<   作成日時 : 2018/06/12 22:50   >>

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1970イタリア4−3西ドイツ

 W杯のかつての名勝負をNHK-BSで放映していたので見たことのなかった試合を見た。
 世界のサッカーは1974年オランダのトータルフットボール登場以前と以後とでは全く変わってしまっている。それが私の仮説だ。この1970年準決勝、アステカの死闘と呼ばれたこの試合も革命以前である。
 プレスはない。ブロックもない。切り替えはのろい。オフサイドトラップなど存在しない。ボールを持っている選手が目の前にいたらボールを取ろうとするが、数メートル離れただけで中盤選手は無視する。死闘と言うが牧歌的だ。試合が終わってから倒れた選手はいたが、足をつる選手はいなかった。恐らく現代のW杯と比べたら3分の2も走っていなかっただろう。
 死闘と呼ばれたのはその試合展開だ。1-0でイタリアが勝ちそうだったが試合終了間際で西ドイツが追いつき延長突入。ベッケンバウアーが脱臼したが交代枠を使い切っていたので右肩を固定して試合続行。延長戦の間にシーソーゲーム。ついにイタリアが勝利を得た。この得点経過は紙面で見るだけでもわくわくするものだ。
 現代と似たプレーがひとつあった。サイドを抉ってボールを戻してそこに走り込んでシュート、という場面が何度かあった。いつからかは知らないが、この時期すでに連携で点を取るという概念はあったのだ。デュエルと個人技のみの時代ではなくなっていた。
 ちなみにこのイタリアは決勝でペレのブラジルに敗れている。

1974西ドイツ2−1オランダ

 いよいよトータルサッカー登場。ただ、昔の映像はぼけているので、真剣に見ていないと誰がクライフで誰がベッケンバウアーだかわからない。
 オランダが開始直後、西ドイツに一度もボールに触らせずPKを得た。その後ドイツが逆転した。それは知識としてあった。ただ試合展開は想像と違っていた。前半はオランダが圧倒し後半に西ドイツが盛り返したのかと勝手に思っていた。しかし西ドイツは前半のうちにもりかえして前半に逆転していた。
 そして後半はオランダの猛攻。西ドイツが引いて守り、一対一でがつがつとオランダを防ぎ、残り5分になってオランダがパワープレー。それも西ドイツが防ぎきって西ドイツ優勝。なるほど見てみないとわからないものだ。
 この試合はまだ全然コンパクトではなくマークも結構ゆるい。ただオランダのオフサイドトラップは驚愕をもって迎えられたようだ。やがてそれがコンパクト、プレス、ブロック、といった近現代サッカーに繋がっていった。
 ところで解説者が山本昌邦と藤田俊哉。ドイツ好きの山本と、オランダで選手コーチ経験のある藤田。その二人がかつて磐田の監督と選手だったのを思い出した。それも山本が藤田を干して藤田が名古屋に移籍したという過去がある。因縁を思い出しつつ聞きながら勝手に緊張してしまった。

1978アルゼンチン3−1オランダ

 この試合の解説も山本・藤田。山本氏は中盤で100点取るなんてすごいね、などと藤田を持ち上げた。藤田は穏やかに大人の対応をした。ただ二人とも磐田時代の話はしなかった。
 さて、この1978年大会はアルゼンチン軍事政権下で行われた。二次予選でアルゼンチンは4点以上で勝たなければ決勝進出がならなかったペルー戦で、6-0で勝利した。そこで「何かあったのではないか」と現在でも言われている。
 なお、ムッソリーニ独裁政権下で行われた1934年W杯でイタリアが優勝した時も、「何かあったのではないか」と言われている。2002年日韓W杯の韓国でも「何かあった」ようである。韓国は独裁政権でも軍事政権でもない筈だが、寡占巨大企業経済の国でその企業の一つの元トップで有力な政治家がサッカー界のトップに立っていたようである。そう考えると開催国でありながら決勝トーナメント出場がならなかった南アフリカが、最もクリーンだったのかもしれない。さてプーチン大統領のロシアのW杯。「何かある」のではないかと想像している。もちろん「何かある」のを望んでいるわけではない。
 さてこの試合、アルゼンチンが圧倒したのだろうと勝手に思っていた。オランダは4年前に大活躍したクライフがいなかった。誘拐を恐れたからと言われている。それにオランダは1974年とは異なり苦労して決勝に上がってきていた。それほど強くはあるまいと。
 実際は好ゲームだった。オランダには決定的なチャンスが数多くあり、試合は延長戦の激闘だった。その延長戦に入る直前、オランダにはポストを叩く惜しいシュートがあった。あれが入っていたらマラカナン並の悲劇だっただろう。
 アルゼンチンはケンペス2得点1アシスト。これらがディフェンダーやゴールキーパーの足や手のほんの少し先をボールが通っていく際どいプレーばかりだった。止められそうで止まらない。闘牛士(マタドール)の名は伊達ではなかった。
 なお、この試合のアルゼンチンはラインを高く上げて1974年の西ドイツやオランダよりもコンパクト(的)なサッカーをしていた。4年の間に変わりましたねと山本氏も藤田氏も感心することしきりだった。

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