折り返して逆サイド

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zoom RSS ベガルタ仙台の柳沢敦

<<   作成日時 : 2014/12/27 13:25   >>

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 ベガルタ仙台に柳沢が来たのは2011年シーズンから。ベガルタがJ1に再昇格してから2年目にあたる。
 柳沢は長く日本を代表するフォワードの一人であり、実績は申し分なかった。だが、私は彼がベガルタに来ることについて懐疑的だった。ベガルタには当時、前年にFC東京から来た赤嶺と鹿島から移籍してきたマルキーニョスがいたし、J2時から在籍していた中島も中原もいた。太田がフォワード起用されることも多かった。その中で柳沢はとうにピークを過ぎていたと思われた。彼に「手本を示すベテラン枠」以上のものは感じなかった。
 この年には震災があった。ベガルタ仙台もその中で翻弄された。エースフォワードと期待されたマルキーニョスが仙台を去った。ただ、柳沢が仙台でプレーすることに関しては、私の予測から大きく外れではいなかった。彼は4年間仙台にいたが、出場は少ない時で13、多い時で20。レギュラーフォワードだった年は一度もない。4年間のリーグ戦で66試合出場7得点。決して多いとは言えない。

 その7つのゴールの中で、サッカー場で見たものがひとつある。2011年9月24日日産スタジアムでの横浜M戦だ。

 前半12分、ベガルタ陣内でマリノスがファウル。瞬時に梁が左サイドに飛び出した。フリーキックがそこに出た。梁が中央にボールを送った。柳沢と中澤が並走していた。それで柳沢のヘッドが入ってしまう。逆転。
 中澤がついていたのになぜ柳沢ヘッドが決まったのか。後で録画を見たら、中澤と並走していた柳沢は、その瞬間にブレーキをかけていた。そこが落下点だった。中澤が止まるのがコンマ何秒か遅れて柳沢はフリーになっていた。


 さすが柳沢、中澤を手玉に取った、などと思った。これがベガルタにおける柳沢の初ゴールだった。

 柳沢は途中出場が多かった。勝っていてそのまま終わらせたい、負けていて流れを変えたい。監督には柳沢を送り出す時にそれぞれ意図があっただろう。ただ、そうした狙いが柳沢から感じられることはそれほどなかった。柳沢が出て、落ち着かない選手たちが落ち着いたり、沈滞した流れが活性化したり、といった変化を感じたことは少ない。彼が出てきて、短い時間が過ぎて、試合が終わる。そうしたことが多かった。柳沢に限らず、途中出場の選手はたいていそうなる。特に変わったことではない。
 特に記憶に残るのは、名古屋戦で無人のゴールへ放ったシュートが外れたこと。あれには笑った。2011年8月20日。つい先日まで、ベガルタの柳沢というと、この横浜M戦のゴールと名古屋戦の入らなかったシュート、その二つが自分にとっては最も印象深いものだった。卓越した技巧と、入らないシュートが印象に残るフォワード。

 そんな柳沢の印象が最後に変わった。今年、ベガルタは残留争いにあえいでいた。そんな第31節、11月2日、万博競技場、G大阪戦。ここで柳沢は後半ロスタイムに同点弾を決めた。
 この得点がどれだけ重要だったか。この試合で負けていたら仙台は清水に抜かれて15位に落ち、16位の大宮と勝ち点2差になっていた。そして、代表戦が挟まり次の試合は約3週間後。敗れて崖っぷちで3週間。土壇場で引き分けて崖っぷちから一歩離れて3週間。どれだけ心理的な違いがあっただろうか。
 しかも今年の、後半足が止まって失速するのがお決まりだったベガルタで、優勝争い中の相手に敵地で、終了間際に得点するなど奇跡のようなものだった。
 味方も敵も密集している所をゴール横までするすると抜けていき角度の無い所からシュートを放った柳沢。あれはまるで魔法のようだった。

 柳沢は現役最後の時が近づくまで、あんなプレーが出来るように練習を続けていたのだ。そして彼は、今年一年間でベガルタが最も点が欲しい時にそれを決めた。

 私は間違っていた。

 現在は、彼が、柳沢がベガルタにいて、本当に良かったと感じている。

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