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zoom RSS ジーコに教われなかったリスペクト ―マルタ戦―

<<   作成日時 : 2006/08/15 21:41   >>

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 常人の発想をしない異能の人であり、経験でしかものが語れない二流の人、とジーコ監督を貶してきた。さらには何もしない監督と。だが、ジーコを無能と言いたかったのではない。
 W杯があまりに情けない結果に終わったので、ジーコ無能論を語る人がネット上では多く出た。確かにオーストラリア戦での小野投入は采配ミスにしか見えない。以前から守備システムへの指示は無く、選手内で意見の相違があった時にも調整をしなかった。W杯終了後の記者会見も納得の行くものではなかった。
 しかし、ジーコを無能と断じるのは、言った人は気が済むかもしれないが、言い過ぎであろう。極端な言質は説得力があるかのように聞こえるが、たいがい的を外しているものだ。私はジーコが二流だとしたが、三流とまでは思っていない。
 実際、私はジーコからいくつか重要なことを学んでいる。その一つがリスペクトだ。

 リスペクトは英語である。ブラジル人のジーコがこの単語を使ったわけではない。ジーコの話すポルトガル語で意味がわかったのは、結局アシュケー(考えるに〜)とオブリガード(ありがとう)だけだ。
 そう言う話をしているのではなく、教わったのはリスペクトという概念だ。
 日本語でリスペクトは尊敬とか敬意などと訳される。しかし、単純に訳すと意味が微妙に違ってしまう。
 例えば、欧州選手権だったろうか、フランス側からイングランドへの挑発発言があったとき、イングランド主将のベッカムは、
「ぼくはフランスをリスペクトしているよ」
と受け流した。この時のリスペクトは、相手の実力を把握し、自分たちの実力と比較し、相手の特長に敬意を払うということだ。
 そして、なんのためにリスペクトするかと言えば、自分達が勝つためである。裏に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という考えがある。

 アジア杯で日本の国歌斉唱時のブーイングを受けてジーコは怒った。リスペクトがないと言うのである。
 アジア杯のヨルダン戦、日本選手が外しそれを見たヨルダン選手が笑ったのを称してジーコは、「だから彼ら(ヨルダン選手達)は国に帰ることになったのだ」と言った。これもリスペクトがないと言うのである。
 そして驚いたのはインド戦の前だ。明らかな格下を相手にしてジーコ監督は、
「インドという強敵と戦うんだ」
とリスペクトを強調したのだ。敵を侮ることを禁じた。
 これは「敵を知り己を知れば」の上にさらに「ライオンはウサギを捕らえる時も全力を尽くす」を加えたものだ。
 何のためのリスペクトか。これも自分達が勝つためだ。

 しかし、ジーコの語ったリスペクトは日本代表選手達に正しく伝わっていただろうか。
 W杯本番直前のマルタ戦、格下相手にモチベーションを無くした(ように見えた)日本代表は1−0の勝利ながら不甲斐ない内容に終始した。
 これまで「内容はどうあれ勝てば良し」という態度を取ることの多かったジーコ監督も、これに衝撃を受けていたという。
 マルタ相手に全力を尽くさなかった日本代表は、リスペクトを明らかに欠いていた。

 そして、そのマルタ戦が分水嶺になった気がする。
 ジーコ監督は自分の選んだ選手に全幅の信頼を置いていた。その信頼が揺らいだように思えた。練習中、たるんでいるように見えたのか、ジーコが声を荒げたという報道があった。
 マルタ戦以降の日本代表は、何かが決定的におかしくなっていたようだ。

 W杯後、ジーコ監督は「日本は実力がコンスタントに発揮できない」という意味のことを言った。その通りだ。なぜだろうか。
 私はリスペクトの欠如からくるのではないか、と想像している。

 ジーコはリスペクトという概念を十分に伝えきれなかった。
 それは伝えるジーコ側よりは、受け取る日本側の問題ではないかと思っている。日本の国民性として、そうしたものが欠如しているような気がするのだ。

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